◆マニアのひろば◆ 中古ラジオ受信機 談義


【連載 49】   「わがMW-DX作戦」(ICF-A100V)
                



 一般ラジオのタイマーつきを捜していて見つけたのがICF-A100Vだ。地域エリアカード交換してみれば容易にROKラジオ沖縄の受信に成功した。それだけ高感度なのだ。タイマー作動させて眠るためのツールがMW-DXに使えるとは僕も驚いた。まさにぶっ飛びだ。九州のエリアカードを挿入している。時間があればROKの受信チェックができる。モニターを半年くらいは続けた。

 カエルちゃんFRG7700にシャンテック電子のMW-LOOPキットを接続。(もちろん自分の都合のいいように改造してある)いいアンテナだと評価する。電子部品も購入できるからいいお店だ。近隣諸国のAM局も受信する。朝鮮歌謡など聞けば飛び上がるくらい喜んだ。深夜に聞くとまた感じが違う。

 549KHzRadio-Mayakを0400から聞くのが楽しい。もちろんそれまでに9805KHzでRFIのロシア語を楽しんでいる。このごろは0300前後に目が開くのかな?0500や0600なら国内AM局も面白い放送をしている場合もある。これからは夕方(1830前後)の放送も期待できる。東北放送だったかな?「ラジオクラブ」という番組があった。2-3年前にはニッポン放送で「ミュージックスカイホリデー」というリクエスト番組もあり僕のリクエストとメッセージが紹介され記念のポストカードもいただいた。これだけの文章でもMW-DXの奥の深さがわかる人にはわかるだろう。新兵器にICF-S5が我家にあるといったらみなさんはうらやましがるだろう。このラジオもいい製品だ。ただし音量調節が新品にも難があった。


        平成23年9月13日   匿名希望



*本日は連載:第49回も寄稿をいただき、誠にありがとうございました。〔ぱれっとストア ショップ・スタッフ一同〕




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【連載 48】   「BCLは文化人類学?」(ジーガム404)
                



 電波技術’75年6月号で牛込和則さんが「放送を通して言語や文化に積極的にBCLやDXerが聞いているか?」と書いている。同様に中学時代読書した『短波』中波DXレポート総評欄で川口大助さんがBCLと文化人類学との関係を説いておられた。祖父江さんの『文化人類学入門』は有名で何度も読書した。学問としては阪大人間学部が筆頭だろう。

 むずかしく考えることはない。「なぜBCLが好きか?面白いか?」それを考えることから始めよう。
深夜の31mbを聞いている。バチカン放送やRFIやラジオリバティそれにMWで聞こえるラジオマヤークをよく聞くが、強いていえば僕はロシア語系DXをしていることに気づいた。これこそが出発点ではないか。
「好き」ということが意味するものを考えるのも哲学や学問だろう。
それがなければ30年以上もBCLをするお馬鹿さんもいないだろう。
小学生で3バンドのラジオ:三菱電機製ジーガム404を使用していた。

 NSBでBCL番組「ハロージーガム」(毎日15分ほどの番組)や「サンデージーガム」(日曜日30分)があった。
ジーガムにあこがれた子も僕の数少ないBCL友達(小学校時代)にいた。さんちゃんはクーガ7を持っていた。
僕のほうがクーガ7にあこがれたほうだ。人によっては好みが逆転するようだ。
映画「未知との遭遇」には衝撃を受けたが、ラジオで受信できたことや異文化に触れたこと、僕の薄い頭で考えればこれこそ文化人類学の始まりだ。再読のために祖父江さんの本はアマゾンに注文した。そのうちメール便で届くだろう。


        平成23年9月12日   匿名希望



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【連載 47】   「なにもかもわからない?」(アイデアルケースの受信機)
                



 この受信機については一切資料が無く記憶のみ。アイデアルケースの受信機でMWと3.5MHzからどこまでSWが受信できたのかさえわからない。製作した人は技術者のJA3DDQさん。

「無線機だけはぜったいにお前にはやらんからな」といわれた。チラッと見た感じでは八重洲FR-DX400あたりか?
FR50Bラインか?玄関には八木アンテナが設置してある。車には2mか?6mか?モービル機が積んであった。
21歳の鉄2号は幻の受信機をいただいた。「作った受信機ならあげる」その一声だ。

 八重洲の無線機が一番カッコいいが口癖だった。これが最高の受信機でその後いろいろな受信機を使ったがこれを負かしたモノはない。不具合だと騒いでもFqが読めんだけだ。ダイアル糸が切れて廃棄処分。あーあー。
いまでは定年されてハムを楽しんでおられると思う。DDQさんからは小4のときに自動的に起き上がるロボットの玩具をもらった。ロボットは全部で三体ありそれぞれ動き方や特長が違った。全部のロボットがほしかったんだがなあ。
幻の受信機は鉄2号が生まれた時にはすでに存在していた。奥さんがその証人だ。赤ちゃんの鉄2号が触っていたとしてもおかしくはない。会社の寮(アパート)の隣人こそDDQさんだからな。

 BCLの潜在的な師匠だったのかもしれない。おやじの受信室?の写真も見た記憶がある。テレハンターを屋根に張ったときのおやじの行動は余りにも玄人すぎる。おやじもBCL?わからん。なぞだらけだ。
だが、なんらかのDNAや「血」なんだろうな。鉄2号はそれを受け継いでいる。亡くなったおやじはとても器用な人だったよ。優しい人だったよ。ブラウン管の工程管理の技術者だ。パソコンも器用に使っていたっけ。
真空管受信機への興味はいまだに尽きない。真空管そのものに何か秘密があるのだろう。真空管アンプにも興味がある。作れるのなら作ってみたい。特に「2A3」には興味が尽きない。


        平成23年9月11日   匿名希望



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【連載 46】   「BCLジョッキー?オールナイトにっぽん?」(ICF5900)
                



 自転車の好きなかびそば君は中学一年のとき「3バンドのラジオがほしいけどお金が無いので買えません」(自己紹介)「ラジオオーストラリアを聞いたことがないので聞きたいです」(新年の抱負)とみんなのまえでいった。僕より早く山田先生のBCLマニュアルも買っていた。国内民放局QSL収集中心の活動をしていた。
愛機はお年玉で購入したスカイセンサー5900だ。オーストラリアを聞いたことがないのは、これは想像だがマーカーで校正してスプレッドダイアルを使うことを理解していなかったのではないか?ということだ。

 「ICF5800を売りたい」という話はいやというほど電話で聞かされた。個人的にBCLクラブをみんなと作って活動していた。「ロクハン」音楽之友社の読者コーナー「共鳴館」に投稿がよく載ったから電話が掛かってきた。
正体不明の人間に追いかけられたこともある。もしかしたら特殊工作員か?
 眠れぬ深夜にBCLジョッキーをよく聞いた。担当の富山敬さんがドュークのおっさんとよく呼ばれていたのを知ってる人はアニメ通だ。
「UFOロボ・グレンダイザー」というマジンガーZシリーズ最終作の主人公こそドューク・フリードで富山さんが声優をしていた。オールナイトにっぽんを聞くようになったのは高校生。他より遅い。

 皆の例に倣って「鶴光でおま」で声優杉山佳寿子さんがゲスト出演したミッドナイトストーリーには超興奮。
「石野真子でーす。眠っちゃだめですよ」と聞けば股間が熱くなった。乳頭の色はどれがホンマか悩んだ。
一番好きだったのが二部の谷山浩子。すでに成人していたがマンガ予告編で小山田いくのマンガのことを聞けば気になった。「スクラップぶっく」というマンガだったな。小森まなみ「らじかる」にも興奮した。これは最近まで放送していた?まだ放送している?BCLとアニメの関係は濃い。「BCLライフ2011」の表紙を連想してくれ。
言いたいことがわかるはずだ。


        平成23年9月10日   匿名希望



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【連載 45】   「近隣諸国だけどおもしろい」(FRG7700)
                



 電波技術’72年2月号に長瀬博之さんが中国国内局受信の手引き(国内局の説明と受信状況)を書いておられる。受信設備:スターSR600の高周波部を改造したもの(MWにはそれにクリコンを付加)以上のことは手持ちの資料による。大変興味深い記事だ。長瀬さんは『短波』アジア地区アドバイザーをされていて時々NSB『BCLワールドタムタム』にもゲスト出演されていた。当時、近隣諸国の放送はよく聞いた。毛沢東や四人組の時代で北京放送も面白かった。

 僕は神戸のシャンテック電子MW-LOOPキットをよくできたアンテナだと評価する。FRG7700に接続して調整したら国内AM局の影や隙間から近隣諸国のAM局が聞こえてきた。朝鮮歌謡でも聞けば飛びあがるくらい面白いと感じた。中国、韓国、朝鮮の言葉の響きが美しい。

 深夜受信のもうひとつの楽しみになった。FRG7700はMWのほうが接続や調整によっては(鉄2号の所持してるカエルちゃんだけかも?しれんが)SWよりも感度等良好になる。面白いと思わんほうがおかしい。

 手持ちには「WRTH’09」やネットでプリントした「主要海外中波放送一覧」「国内民放AM局周波数一覧」がある。PCではFqを入力すれば検索できるようにしてある。

 カエルちゃんでSWを聞くよりMWを聞くほうが好きだ。一応EMFはつないである。Radio-Japan等聞いてはいるけどね。カエルちゃんがμPC575C2を低周波増幅に使ってることまで僕はしっている。普通以上の音質で聞けて当然である。「往年の名機カエルちゃん7700」ともいえる。


        平成23年9月8日   匿名希望



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【連載 44】   「いまでも人気がある?なぜ?」(9R-59DS)
                



  どうして人気があるのか?わからない。オークションでも取引がある。ネットで検索すれば問題点として「メーカーで作ったものかどうか?」が問われる。キットで作られたものが多いようだが作った人の力量にも左右する受信機だ。

 鉄2号は1993年にJSWCの先輩からミズホのカウンターDX007を取りけたモデルをもらった。ヒューズを取り付けたら動作した。なぜかツマミのサイズのあわない部分があった。先輩に電話すればバリオームを交換したらしい。それがこの受信機の欠点ともいわれるハム音がすることの対策であったと知ったのは最近のことだ。ヘッドフォンで聞くと、うるさいくらいの音が出たのを覚えている。山形県Mさんにイヤフォンを勧められた。

 AN-1を接続してDXを堪能した。マリやガーナやナイジェリアをよく聞いた。眠れない深夜にはインドも聞いた。インドネシアDXサークルIDXCにも入会していた。インドネシアをよく聞いたのは9R-59DSよりもNRD-345だったような気がする。9R-59DS故障後にはSW-4AやAR7030+が手に入ったので受信室に飾った。

 いま住んでいるところに引っ越したら、次々と受信機がつまらぬ故障をした。両親も亡くなり悲しみで涙が止まらない。もうBCLやDXどころではない。受信機も整理した。ラジオはずうっと好きで細々と聞いていた。まだICFsw77は使えたし本格的にやりだしても不思議ではない。中古等で手に入れられるだけ手に入れた。

 9R-59DSやSW-4Aの代わりにLAFAYETTE=KT-320(9R-59のOEM)を手に入れた。よっぽど真空管受信機には縁があるのだろう。松下電器RE-250も持ってるし。今度はアンテナだ。自作LOOP-0やLOOP-00も製作した。調子もいい。

 深夜の受信にはFRG7700よりもIC-R1500やKT320がよいようだ。カエルちゃんに接続したEMFを室内で使用するのはシビアなのか?MINI-WINDOMはTS-120Vに接続されている。平面アンテナD5080はDTS-10に接続。TFM-2000FはLodでも音質がいい。ほえろクーガも時々ほえている。FMを聞いてるときによくほえる。これで鉄2号の受信室の概要がわかっただろう。そう悪いシステムではない。


        平成23年9月5日   匿名希望 



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【連載 43】   「俺にもいわせろ」(RF2200)
                



 語りだしたら語りつくせんラジオだ。
このラジオでザイールOZRTのベリレターをもらったことはまえにもいった。1993年のことだ。
1976年、BCLが熱かった理由はRF2200とICF5900のおかげだろう。当時ICF5800やRF1150でがんばったBCL君は多い。ICF2001ボイスオブジャパンの登場が逆にBCLの寿命を短くしたと思う者は結構いるかも知れない。

 味気ないと思ったのか?それだけ手探り受信派が多かったのか?どうだろう。マーカーで校正しての受信はいまでこそ面倒な気もするが独特のムードだ。それに酔うんだろうね。当時のリグを手に入れたい気持ちもわかる。DXにも相当対応する。いまでも大人気?デザインもカッコいいからね。ダイアルのタッチもいい。回転させると気持ちいい。姉妹機のクーガ101もかわいくていいね。

 鉄2号のはキャプテンアメリカやら、かたつむり大作戦やらのステッカーをスピーカー部分に貼っていた。結局ソウルオリンピックのマスコット(確か『ホドリ』と思う)のステッカーを貼った。Lod-Antが折れてしまい代用品を取り付けたり(記憶によれば二回折ってる。一回目は純正品だが電器屋さんに行けば店主が居ないので奥さんが工具を貸してくれたので自分で交換した。鉄2号は不器用なようで器用なのだ。工賃は負けてくれた)ジャイロを親父がハンドルと勘違いして持ったりした。結果、原型をとどめん位の状態になった。購入したのが1977年で廃棄したのが1998年だったかな?いいラジオだと思うよ。


        平成23年9月4日   匿名希望 



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【連載 42】   「L-3アンテナ誕生」(IC-R1500)
                



 ICOMサポートセンターの手紙:『導電率の高い真鍮をアンテナエレメントに使用することで、実質的な感度が上がっている推測されます。(略)たいへん受信機に関する造詣が深い方であるとお察しいたします。何十万もするような大型受信機でなくとも※※様独自の方法でIC-R1500の性能をフルに発揮していただけるものと確信いたします』真鍮で室内アンテナを作った。完成したものはカーテンレールに沿わせた3m程度のワイヤー系Antだ。製作途中にこのAntに使用したのがIC-R1500だったので会社に問い合わせていた。

 80年代KTWR『BCLやめんといて』:BCLのアイドル的お嬢さん佐伯町子さんが3mのワイヤーを窓の外から出すだけでも効果ありといっていた。つまりそれを応用したのである。結果、ものすごい感度のAntになった。考えようによっては100円ショップで買ってきた真鍮なのでこんなチャチなものとみんなが思うだろう。とすれば使用すれば悪夢のAntになるだろう。BCL君の常識がいったいどうなのかと問いたい。出来合いのものを使用するのが悪いといってるのではない。要は知的好奇心とチャレンジ精神だ。わが師匠山形県MさんのAntは10mの真鍮を天井から押入れに引っ張っただけ。やはりその弟子のすることである。師匠の奥義を真似ている。

深夜9805KHzでRadio France International ロシア語放送をこれで楽しんでいる。結構POPSもあって楽しい放送だ。


        平成23年9月2日   匿名希望 



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【連載 41】   「ほしいモンなくなった?」(ICF-S5)
                



 オークションでICF-S5を手に入れた。発売当時入院中で他の患者さんが持ってるのを見てあこがれていたラジオがこれである。別名:ザ感度。回転ノブを動かすことにより受信地域がかわる。いまでこそエリアコールがポケットラジオにも採用されている。また僕も持っているがICF-A100Vのようなエリアカード交換するラジオもある。これが意外にいい受信結果を生むラジオなのだ。感度はむしろポケットラジオこそいいのではないだろうか?いつもいつも思っている。ICF-S5を手に入れたら脱欲感?とでも言うのだろうか?よくばる気持ちがなくなった。もうなんもいらへんわと思った。このまえRF656が壊れたことを言った。だから購入したわけだ。

 MW-DXについては神戸のシャンテック電子のキットを組み立てたアンテナをカエルちゃん(FRG7700)に接続している。自分のつけたアンテナのネーミングはLOOP-00(ダブルオー)だ。かっこいいだろう?4時から聞こえるRadioMayakを聞くのがマイブームなっている。この前聞いていたら沢田研二(ジュリー)の『勝手にしやがれ』を現地の男性が歌っていて見事な日本語だった。こんなのが聞けることこそBCLの醍醐味だと思う。

 僕の一番ほしいモンは健康である。障害を背負って生きている。


        平成23年9月1日   匿名希望 



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【連載 40】   「世界は君のもののはず?」(world-boy2000GX=RF868)
                



 70年代の深夜放送ブームの頃のラジオだ。もう一台world-boy1000GX=RF656もオークションで落札したが電源SWが完璧に折れてしまった。→廃棄RF656はAM/FMだがいい音で大音量で聞けた。残念だが仕方ない。どちらもジャンク扱いで安価だったしなあ。RF868は「Dタイプ」もある。3バンドだがSWは期待したらアカン。世界は君のもの=world-boyだが音に関してはいい。ラジオマニアのことを「音キチ」ともいうからね。いい音や、いい音楽が聞きたいね。RF868にはロクハンキッドやスパイダーマンのステッカーを貼った。台北国際之声時代のRTIのステッカーもね。

 鉄2号はネットラジオも楽しんでいる。例えばドイツのインターネットラジオを入力したら、中学生のときに憧れたバイエルン放送が楽しめる。ハワイのFM局も「KCCN」「KINE」「KRTR」のFM放送が楽しめるように設定した。陽気な音楽はやっぱりいいよ。これこそ世界は君のものだろう。


        平成23年8月29日   匿名希望 



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【連載 39】   おしゃれなヘッドフォン(ミュージックイヤマフ)
                



 IC-R1500+5mLしんちゅう室内アンテナを使用して0200-9585KHz バチカン放送、0300-9805KHz RFIロシア語、0400-7285KHz ラジオリバティを深夜によく聞いている。このアンテナはまさかの脅威のアンテナである。感度抜群だがダイソーで100円で売ってる「しんちゅう」である。銅との合金であるしんちゅうによりステンレスやアルミで作ったエレメントよりも感度が改善された。

 鉄2号は山形県のある老OMさんより勧められてイヤフォンを愛用していたが線のねじれに根負けして安価なヘッドフォンを検索して「ランドポート製ミュージックイヤマフ」を見つけて愛用している。接続コードの着脱も可能で女の子の好む耳あてにも変形する。面白いと思った。そこそこの音である。会社もトラブルの際の対応がすごく迅速で丁寧だ。 気にいった。さきほどいった線のねじれは厄介である。ミュージックイヤマフにはダイソーの延長コードで2m伸ばしている。

 100円ショップもアイデア次第ではものすごく使えるグッズがある。受信設備は個性も重視してみることだよ。例えば昔懐かしいRF2200等、使用したり、アンテナを自作してみたり、BCLの楽しみはいろいろあるだろう。


        平成23年8月28日   匿名希望



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【連載 38】   『世界放送局めぐり』野口実著(9R59DS)
                



 野口先生の受信室の写真があり9R59DSをはじめて見たのがこの本だった。
実ははじめて親父にラジオの製作を買ってもらった時に山田先生の奈良から東京への引越しのエピソードにあった。
山田先生の受信室の説明もあったわけだ。世界放送局めぐりの連載にわくわくした。

 実はこの本と『BCLマニュアル』をオークションで落札した。ただただあの時代が懐かしい。9R59DSはJSWCの先輩から只でいただいた。マーカーもスタビロも内蔵されておりミズホのDX007が外付けされていた。スペアの真空管も2本ありSP付の程度のいいものだった。ガーナやマリをよく聞いた。1993年ごろはアフリカの感度は最高だった。ねむれない。時計を見れば01時、そんな時にはインドも聞いた。AN-1でも十分だった。

 現在の鉄2号の受信室にはLAFAYETTE model KT-320がある。何を隠そう9R59のOEM製品である。どういう経緯を経たのかわからぬが逆輸入したことになる。付録についていた『CQ出版9R59とTX88A物語(高田継男著)』を見ればなんともシンプルな受信機である。これがものすごく調子がいい。

 FQを読む秘策?はある。局発信号をデジタル表示のラジオで受信してやればいい。(KK-S500を利用した)牛込和則さんがラ製で解説している。自作アンテナLOOP-0に接続してRFIロシア語を深夜楽しんでいる。


        平成23年8月22日   匿名希望



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【連載 37】   「あの日にかえりたい」【ICF5900】
                



 中学生になったら周りにBCL少年がいた。小学生の時には皆無でフリッパーに熱中する連中が多かった。「1973年のピンボール」のような時代だ。周りの少年はレコードにも興味を持っていたのか?どうか?僕はレコード屋にも行くようになっていた。R.Australiaをよく聞くようなった中学1年、ボブディラン「ハリケーン」には感動した。そんなとき荒井由実の「あの日にかえりたい」を短波で聞いた。この曲はいまでも聞かれる名曲だ。そしてさらにクィーン「ボヘミアンラプソティ」には仰天した。

 ICF5900が発売される頃少年達がそわそわしだした。みんなスカイセンサーを購入した。前期型、後期型とある5900にはいまでも興味がある。BCLブームのあの日に帰ったらクーガとスカイセンサーのポータブルとドレークSSR-1やR-300 FRG-7で受信室を構成してやる。これが若返りの方法や。アンテナは三基工業のテレハンターでもいいやろ。野外に出さずに木造家屋なら室内に張ってもいいだろう。

 現在人気の303WA-2+DA-100Bもいいなあ。現実にはFRG7700 IC-R1500 TS120V KT320などのテーブル型受信機にRF-SystemsのEMFとMINI-WINDOMそれにSONY AN-12を接続している。DTS-10には5mLのしんちゅうに磯野圭さんが発表されたボトムローディングを応用した整合器を接続している。


        平成23年8月7日   匿名希望 



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【連載 36】   「いちご白書をもう一度」【RF2200】
                



 このヒット曲をはじめて聞いたのがラジオオーストラリア日本語放送だ。歌ってるひとも何もかもしらない。ラジオから流れる日本語の歌詞には感動するしかなかった。同じように荒井由実「あの日にかえりたい」もだ。当時ソニー派か松下派が主流。ICF5900かRF2200のどちらかでDXも可能?のはずがDXから落ちこぼれた少年もいた。僕はジーガム404でMWの近隣諸国の放送&60mbで聞こえる限りの放送を楽しんでいた。いまでもその傾向はある。

 中国語朝鮮語ロシア語の響きを美しいと思った。インドネシアやパプアニューギニアの放送はPOPSが素敵だ。確かにジーガムで聞くのには限界があった。R300+CV230のBCL少年は17歳になったらBCLが色あせた。そんなモンかと思った。不活発な時期もあったがいまだに僕はBCLをしている。RF2200を購入したものの『短波』も読まなくなっていた。いまでも我流のBCLで気ままに楽しんでいる。自由な感じがいいのでわが道をいっている。

 RF2200はよくできていた。33歳くらいでぼろぼろになった。よー使ったと思う。オークションの程度のいいものは人気があるし高値だ。サービスマニュアル片手に再調整して使用するのだろうか? 当時はマーカーの校正も面倒に感じたがあの感覚がいいのだと誰かがいっていた。『ラジオマニア』かなんかに載っていたのか。ひとそれぞれだし、昔のラジオにもいいものがある。僕はBCLブーム以前のラジオにロマンを感じるね。松下製ラジオではRF656 RF868 RF888 RE250が受信室にある。十分いい音だ。


        平成23年8月2日   匿名希望



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【連載 35】   「ミスターステレオマン」【パイオニア、プライベートシリーズ】
                



 プライベートのターンテーブルはレコード演奏の時にキャビネットから飛び出してくる。それゆえに狭いリスニングルームでの設置も可能だ。いろんな価格帯があった。一番安価なものでもそこそこの音楽を聞かせてくれた。僕も欲しかった。

 新幹線の通る場所に住んでいたA君はレコードを聞くことにあこがれてプライベートを購入したが針飛びが頻繁におきたのでお気に召さなかった。 極端な例かもしれないが僕の二十歳代のころのオーディオが充実するのにはCDプレーヤーの登場を待つしかなかった。まだまだカセットが主流だったがラジカセで音楽を聞くことを小馬鹿にする連中もいたことは事実だ。ウォークマンやカセットボーイそれにコデッキを松下も発表していたが、カセットでは安っぽいと感じる少年も多かった。

 当時、ナイアガラサウンドの「ロングバケーション」のテープを僕は熱心に聴いていた。「君に胸キュン」をYMOが歌ったり「いけないルージュマジック」(坂本龍一とキヨシロウのKISSにはぶっ飛んだ)や「すみれセプテンバーラブ」(研ナオコではなく土屋さんです。一風堂です)が流行った。漫画では江口寿史「ストップひばりくん」とかが人気があった。いまから思えばとんでもない時代だったよなあ。

 
        平成23年7月25日   匿名希望



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【連載 34】  「二十歳の原点」(テク二クス、コンサイス5)
                



 ジャケットサイズのコンポである。D.Dフルオートプレーヤ、FM/AMカセットレシーバー、リニアフェイズスピーカーシステムの3点をそろえた合計金額は149000円だ。リニアトラッキングD.Dプレーヤはレコードジャッケットと同じ大きさでカセットレシーバーは20W+20Wの出力だ。音の技術を凝縮したぴったり31.5cmの新しいコンサイスというキャッチフレーズだ。15万円でお釣が来るのはいい。

 僕がステレオに興味を抱いた二十歳の頃の製品だ。「二十歳の原点」高野悦子は文庫本シリーズで何度も読んでいるし映画版も京都大学十一月祭で鑑賞している。政治や思想のことをいう気はないが僕にとっても青春の書物だった。青春の書物といえば「NHK若い広場のマイブックコーナー」で斉藤とも子が作家相手に文学作品を紹介していた。途中、原田美枝子に変わったが作家では丸山健二さんのことが印象的だ。著作「雨のドラゴン」を再読したがすばらしい作品だ。

 当時、自動車ではシティもよく走ってたし一番カッコいいのはセリカXXやプレリュードXXだろう。 現在、エコや健康を重視してパナソニック自転車で買い物に行く・・・。

 
        平成23年7月21日   匿名希望 



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【連載 33】  「ふしぎなアパート」(ICF-6000)
                



 このラジオをしらないBCLは多いがスカイセンサー6000は確かに存在する。スカイセンサーカセットCF-5950のインパクトに隠れてしまったが横型の3バンドラジオだ。しめたと思った。同時にふしぎなアパートだと思った。京都からジーガム404を持ってきたがこれは思わぬ収穫だ。感度もいい。

 HCJBアンデスの声も確かあの頃は谷口夫婦が担当してたはずだがどうだったろう。記憶がごちゃごちゃだ。R.AustraliaのPNG向けピジン英語は楽しかった。BBCのNEWSもいい。こんな風にICF-6000で放送を受信して楽しんだ。



▲(C)ソニー:SONY スカイセンサー6000
(ICF-6000)1975年発売


 千種や今池の地下街で森田童子のレコードを買った。今思えば暗い21歳だった。押入れのGOROやプレイボーイをむさぶるように読んだ。自分自身かわいていた。湿ったおしぼりが欲しかった。喫茶店でセブンスターを吸う。だが、パチンコする気にはならん。名古屋でパチンコをしなかったのは僕ぐらいだろう。栄の繁華街で群ようこの初エッセイを購入。ついでにカミュの「ペスト」と「シューシュポスの神話」の文庫本も買った。

 職場の連中から奇異に見られた。女性にも興味がなかった。食堂で昼食を食べてアイスもなかを生協で買って食べる。いつものことだ。みんなは女の子を見ていたが僕の関心はラジオのことばかり。 ICF-6000を京都にもって帰ってやろうかと考えたがそれはやめた。近くのコインランドリーで缶ビールを飲んだ。つまらん。 CPU8086コンピューターの生産現場にいたが2ヶ月の応援の約束で派遣された僕のからだに変調が起きた。毎日注射を打った。あの薬は何だったんだろう? いまだによくわからない。看護婦は『元気の出る薬』といってたが・・・???

 
        平成23年6月21日   匿名希望 



*このたびも連載:第33回も寄稿いただき、どうも、有難うございました。〔ぱれっとストア ショップ・スタッフ一同〕




◆マニアのひろば◆ 中古ラジオ受信機 談義


【連載 32】  こんな便利なものがあった(ビクターラテカセ77)
                



 松下のポータブルTV レンジャー505にあこがれた。いまから10年位前、リサイクルショップで見つけた。 欲しかった。ただし不動品だった。1977年ごろ、輸出用のTV受像機を使用してのEスポ受信もおこなわれていた。まさにTVLという分野だ。

 ラジカセにTVをつけたラテカセがあった。未来君はおばあちゃんに高校合格祝いに買ってもらった。うらやましいなあ。現在手持ちの資料によると3型白黒ブラウン管内蔵、家庭用電源、乾電池、
充電式電池、カーバッテリーの4電源方式。画面を上下反転できるピクチャー・ターニングスイッチ採用。12cm円形スピーカー(実用最大出力2W)。FM/MW/SW/VHF-UHFの5バンド設計で標準価格
67,800円 これがビクターラテカセ77だ。



▲(C)日本ビクター:Ratecase Model 77
(ラテカセ 77)広告
昭和52年発売 当時の定価 ¥67,800


 当時おもしろラジオとして松下がラジカメを発売した。いまでこそ携帯電話にカメラがついてるのは当たり前だがラジオにカメラをつけたのだ。「お値段なんと28,910円だってえぇー」と無名時代の高見知佳がいった。 (「追跡」というシリアスな番組のアシスタントも勤めた彼女が「写楽1981年3月号」でセミヌードを披露している。17-8歳だと思うがとてもかわいかった。)

 
        平成23年6月17日   匿名希望



*このたびも連載:第32回も寄稿いただき、どうも、有難うございました。〔ぱれっとストア ショップ・スタッフ一同〕




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【連載 31】  ローディングロングワイヤーアンテナ
                (リスナー1やテレハンター)
 



 1975年ICF5900が発売された当時少年たちはラジオにアンテナをつけたがった。結論的には感度を最大限にUpしたBCLラジオではオームの法則で説明すれば:「電圧=電波信号×ラジオのインピーダンス」で最大限までに達する。つまり最大の不具合(混変調)がおきる。インピーダンスのマッチングにアンテナチューナーが必要だと「ラジオの製作」のリスナーⅤの記事で読んだ。アンテナチューナー(カップラー)の原理については「短波」で磯野圭さんが「延長コイル・短縮コンデンサ」という言葉を使って説明した。(これは大変興味深い記事だった!!)

 リスナー1もテレハンターもコイルのQを向上させたローディングロングワイヤーだ。NHKホビーテクニック「海外短波放送を聞こう」でもこのアンテナの製作例がある。全部の周波数に同調させたアンテナのためチューナーの必要もない。5m程度の室内アンテナにこそチューナーは威力を発揮する。トリオモノバンドコイル+430PF2連バリコンで並列共振回路を作ったら見事なアンテナチューナーが作れた。アンテナは長ければ長いほどいいとよく言われたがいまでもAN-61やAN-71のような巻取り式の短いものでもチューナーを接続してやればいい。

 確かMFJの完成品があり、まだ購入できたはずだ。技術派BCLはリスナー1を自作してみますか? またパイ型のアンテナチュ-ナー(これはどちらかというとテーブル受信機向き)も自作してみますか。古い受信アクセサリーだけど自作もまた楽しいよ。

 
        平成23年6月8日   匿名希望



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【連載 30】  ジーガムの限界(ジャンクとなったラジオたち) 
 



 雑誌「短波」を見るたびに興奮する。高校受験が迫っている。韓国AM局リストを姉のタイプライターで作った。60mbを聞くがどうしても南米やアフリカなんて聞けない。ワールドタムタムで受信音を聞いても信じられない。FM-DXとか言われても半信半疑? もう限界だ。FQの読めない12MHZまでのラジオでは無理か? BCLジョッキーを聞けば富山敬さんもBCLなんだ。

 あきらめませんよ。電子科に合格したのでRF-2200を記念に購入。すでにRF-2800も売られていたしICF6800も存在していた。JSWCに入会した。2年でやめたのか? クーガでKTWR日本語のテスト放送を聞いた。マーカーでの校正も面倒に感じる。バイトの金で「電子工学ポケットブック」とAIWAのステレオラジカセを購入。ラジカセで偶然中国のVHF電波を受信する。思わずRECボタンを押した。だがFMレコパルの仲間入りをしてしまった。

 オートバイにも興味が出てきた。SF好きが文学に興味が・・・「奇想天外」→「文学界」と雑誌の趣向が変化する。フォートランやアセンブラもたいした事はなかったがOCRカードの読み取りにはイライラした。今よりも数段きれいな文字を書いていたのに融通の効かんこと! ジーガムでもラジオは聞いていた。

 僕が27歳くらいでジーガムはうんともすんとも言わなくなった。32歳くらいでクーガもおんぼろのジャンクとして廃棄した。プロシードもジャンクになった。ICFsw7600も持っていたが人手に渡った。手元には9R-59DSしかない。その前後病に倒れICUに入院。意識不明になり輸血と点滴をくり返す。僕の限界。誰もが助からないと思った。(姉の家の居候が独立したら病に倒れた)人生3度も精神も肉体も神経も同時にやられた。体重は46kgしかない。体調が整うにつれRF-B45、ICFsw77、NRD345、AR7030PLUS、SW-4Aと受信室を構成した。AN-1を設置した。深夜の受信も家族に気を使うことはない。

 
        平成23年6月3日   匿名希望 



*このたびも連載:第30回も寄稿いただき、誠にありがとうございました。お陰様で第30回目を迎えました。学生時代から今日に至るまでのラジオ受信機に纏わる話題、毎回楽しみです。〔ぱれっとストア ショップ・スタッフ一同〕


 


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【連載 29】  海底少年マリン(マリン1号)
 



 松下さんも変わったことをしていた。水中に浮かべて受信するラジオがマリン1号だ。もちろん水中に沈めても大丈夫で音も聞こる。1968年ごろに「海底少年マリン」というアニメ子供番組があった。ブーメランを投げて戦う主人公マリンの声は(深田恭子がリメイク版で演じた)ヤッターマンのドロン嬢を演じた小原乃梨子さんだったが、マリン少年がこのラジオを所持していたとしてもおかしくない。SWが受信できたかどうか記憶がないが欲しかったラジオだ。



▲(C)パナソニック:National RF-622
(マリン1号)
昭和49年発売 当時の定価 ¥17,900


 更にシャワーしながら聞くラジオも登場した。面白い試みだ。いまならワンセグTV付DVDプレイヤーをお風呂で使う人もいるから、まさに時代を先取りしていた。長風呂の好きな人にはもってこいだね。

 マリン1号のCMは銭湯での出来事だがお風呂も様変わりした。ワンルームマンションならば大抵はユニットバスだ。シャワーもひねればお湯がいつでも出てくる。給湯器を使っているがこれがノイズの原因ともいわれる。仕方がないがきちんとノイズ対策はしておいたほうがいい。エアコンの穴からアンテナフィーダーを出したらいいとか隙間ケーブルを使用すればアパマンBCLは大丈夫だとはいうけれど、真正面の玄関の上の僕の部屋。ベランダに外部アンテナを出すのは躊躇う。「変人が住んでますよ」と宣伝するような気がする。アンテナは室内の窓際に設置。それでもノイズもなく受信できる。裏の高層住宅による受信障害が深刻で地上波アナログTVは共聴アンテナだ。殺されているFqを聞くには(ノイズに埋もれているのでなくさえぎられている!)必殺の「モビ受信」がある。『聞こえないなら聞けるところに行け』これはBCLの必須条件だ。

  
        平成23年5月12日   匿名希望 



*この度も連載:第29回も寄稿いただき、誠にありがとうございました。〔ぱれっとストア ショップ・スタッフ一同〕


 


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【連載 28】  これが高級品です(日立パディスコ)
 



 BCL君には日立は注目されるメーカーではない。そういうイメージがある。ところがラジカセに目を向けてみるとどうだろう。日立には「パディスコ」というラジカセシリーズがある。これが優れものだ。

 10年位前にパディスコを持っておられる四様に見せてもらったら、高級品の印象を受けた。当時も高い値段で購入したと四様がいった。オーディオメーカーとしての日立はいいブランドを持っていた。

 OTTOだったかなあ。いい製品です。ラジカセもそれに右にならえですよ。70年代のラジカセは全部が高級品だった。「SONY WALK MAN」以後は、小さくすればいいという考えになったようだ。三洋の「おしゃれなテレコU4」もいい。ぼくはAIWAのラジカセ「CTS-35」を現在の「みやこメッセ」(旧京都勧業会館)でオーディオフェアが行われた時に購入。「まだ新しい製品でカタログにも載っていない」と担当者に聞いた。すでに80年代、ステレオラジカセも当たり前の時代に突入していた。だが(それから5年後)にコンパクトディスクプレイヤー「SONY D-50」が発売されるとものすごく興奮した。

 聖子ちゃんを聞くお決まりのパターンにはまった。「ピンクのモーツァルト」「時間の国のアリス」は名曲だ。いまの高校生で抵抗なく聞ける音楽ではないだろうか。ラジカセの普及に日立は縁の下の力持ちだった。そのことは忘れてはいけない。パディスコは高級品だ。四様のパディスコは使わずに置いていたらしくいい音がした。聖子ちゃんを聞いてもかわいい声が聞こえた。聖子ちゃんのポスターはもう売ってないだろう。AKB48のポスターが受信室に貼ってある。柏木ちゃんは確かにかわいい。

  
        平成23年5月9日   匿名希望 



*このたびも連載:第28回も寄稿いただき、誠にありがとうございました。〔ぱれっとストア ショップ・スタッフ一同〕


 


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【連載 27】  これがBCLの必殺技だ!(Kchibo KK-S500)
 



 中華ラジオのテクサンを2000年前後に輸入(共同購入の形で)して使用していた。ドイツのGRUNDIGとのOEM生産だ。テクサンのアナログ機R-9700とテンキー式PL-757の2台だ。性能もよかった。そして、現在の中華ラジオは更に改良が加えられている。自宅では60mb19mbが殺されている。玄関を出て旧街道と呼ばれる道の郵便ポストを曲がったらそこはもう異世界だ。歩いて1-2分のコミ二ティワークの公園でベンチに座ったら60mbも受信が可能だ。郵便ポストのそばの「柿ノ木広場」のベンチに座ってもそこも十分受信スポットになる。とすれば自宅から少し離れるだけでDXができる。「モビ」という受信方法だがこれはBCLの必殺技だ。

 さらに好奇心から中華ラジオでDXしてみた。 KK-S500で2011.4.26(0520-0603JST)「RadioDijibouti」4780KHZ(S/44333)で受信。 アンテナはLodのみ。中華ラジオをあなどるな。あれだけの国土で中国国内放送を聞くとしても電波の弱い地域もあるだろう。だからものすごい高感度だ。安価で売られているからどうか? と思うようだが使ってみれば驚くしかない。

 日本製のラジオ(受信機)が海外で評価された70年代と同じことが起きている!

  
        平成23年4月28日 PM  匿名希望



*このたびも連載:第27回も寄稿いただき、誠にありがとう御座いました。〔ぱれっとストア ショップ・スタッフ一同〕


 


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【連載 26】  「山椒は小粒だがピリリと辛い」(NRD-345)
 



 「これがJRCですか?」と鼻で笑った人もいたかも? ラ製の記事で見たとき僕も信じられなかった。

 型番が「3」ではじまるのも「ウソ!?」と思った。いい受信機だ。使いやすい。取説にない、いわゆる「隠しコマンド」が嫌いだがメモリーも使わずにfqが一時的にせよメーターバンドで記憶された。曲者には違いないがこれには驚いた。メモリーのバックUP電池の交換が厄介だ。これが欠点だ。性能については:一番素直に使えて奥が深い受信機ではないかと思う。小型でかわいい。fqの表示もおおきくてよい。「まさに山椒は小粒だがピリリと辛い」汎用機には違いない。使い方次第でおおいに化ける。サブ受信機としてはぴったりだしメインに使っても遜色はない。さすがJRCだ。マーケット的にはどうだったのか。

 やはり後継機が出ていない。残念だ。中古でもいいからもっといろんなBCLに使ってもらいたい。SONY的には7600と同等だと思う。誰でも使える使いやすい受信機だ。音質もいい。RS-232CI/Fがついていたことも忘れないで欲しい。僕は近所のハムショップで購入した。初めて買ったテーブル型受信機だった。89,000円位だと記憶している。AN-1やRF-SystemsのMINI-WINDOMアンテナをつないだ。当時、イケダアンドロカーというお店があった。電話での注文に上手に池田さん(ロカーさんの奥さん)が受け答えしてくれた。MINI-WINIDOMはいまでも使用してるので池田さんには感謝している。これがなかなか優れたアンテナなのだ。

  
        平成23年4月25日 PM  匿名希望 



*このたびも連載:第26回も寄稿いただき、誠にありがとう御座いました。〔ぱれっとストア ショップ・スタッフ一同〕


 


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【連載 25】  「これでぶっちぎりや!(AR7030PULUS)
 



 英国で設計された受信機だ。案外欧州では混信が問題になってるのかも? それでコリンズフィルタを実装しているのでは? 日本では混信のもとになるのでMWの感度を落としている。

 感度を落としていない7030はMW-DXerに受けがいい。9R-59シリーズも真空管のため強い信号をぶちこんでも二信号特性やダイナミックレンジがいいから受けがいい。SWとはコイルを切り替えただけなので感度も落ちていない。7030もそんな感じだ。英国メーカーLOWEに似たデザインだ。LOWEとも関係があるのかも? 性能がいいので「これでぶっちぎりや!」とほくそえんだ人もいるだろう。音質を重視するBCLには嫌われるかもしれない。デザインも嫌いな人もいる。近所のハムショップで15万円で買った。安いと思う。AN-1を接続した。ある日、60mbの不明局をKDXCにRepした。2-3人のメンバーがあわてた。次の号のDXレポート欄で「確かに南米です」と確認をくれた。自分でもこれには驚いた。AN-1は木賃アパート1Fの軒下に設置していた。

 自慢のQSL:「Radio Ezra」2001.11.25(0900-0930UTC)12110KHZ 期間限定で放送された世界一小さい放送局です。AR7030PULUSで受信しました。


  
        平成23年4月25日 AM   匿名希望 



*今回の連載:第25回も寄稿いただき、誠にありがとう御座いました。〔ぱれっとストア ショップ・スタッフ一同〕


 


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【連載 24】  負けへんで!(ICF-5600ほか)
 



 団地に住んでいるカブの受信室にはICF-5600がある。宇宙船のコックピットを連想させるデザインだ。エマニュエル夫人のシルビア・クリスティルのポスターが刺激的だ。カブのアンテナはどうしていたのかなあ?エマニュエル夫人にごまかされて覚えていない。

 ICF-5900のアバホボ君はいつもホラを吹く。なぜかアンテナがCV-230という高級なものだった。こんなのとても買えない。同じく5900のニャオ君はFMレコパルの定期購読者だ。自転車が好きなカビそば君はリスナーⅢ(ダブルダイポール)を屋根の上に上げた。いったいどうやって5900とのマッチングを取っていたのか? いまだにわからない。「BCLラジオを買わずにラジカセを買った」といった特急電車はスカイセンサーカセットがステレオコンポのつもりだった。

 アンパンは新聞配達をして貯めたお金でクーガ101を買った。イボコロリンは三洋パルサーのオーナーだ。死神が持っていたのがRF-2200なのでみんなびっくりした。チンコロはクーガ115。かぼちゃ大王も115だ。チロルという当時はやった別棟の勉強部屋に逆Lを上げていた。おまけにソニーのスタジオ101まで持っている。(うらやましい。部屋で何かひとつ無くなっていませんでしたか?)

 ツクちゃんはクーガ118でみんなが「お金持ち」といった。千夏ちゃん(野球部のサード)と理科1君(陸上部)がルーティンを嫌ってトライX2000を買った。アントニオがケンクラフトQR-666を持ってるのが、いまだに謎だ。星坊がFRG-7(カエルちゃん)を買った。部屋にオリビア・ニュートンジョンのパネルを飾り、いつもRadio Australiaで「ジョリーン」を聞いていた。

 紅一点の蘭ちゃんがケンテックBCL-1。持ち主とラジオがうまくマッチングしていた。「お見事だ。ここまでやるのか? 負けへんで!」ジーガム404+テレハンターの僕がつぶやいた。いちばんBCL本を読んでいて電気電子系の話題が好きだった。自転車に乗って買い物にいく途中のクリーニング店に貼られたアグネス・ラムのポスターがいまだに脳裏に焼きついている。

  
        平成23年4月21日   匿名希望 



*この度も連載:第24回も寄稿いただき、誠にありがとう御座いました。〔ぱれっとストア ショップ・スタッフ一同〕


 


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【連載 23】  つかみはOK(ICFsw7600と7600システムについて
 



 中学校でやたら言われた。「ジーガムもっさい、もっさい」ジーガム404の回路を理解してるのか?ポータブル初のダブルスーパーヘテロダイン方式や、ドレークSSR-1のワードレーループ方式を理解しているのか? ICF5900の周波数直読の秘密とHAMも聞ける訳を少年は、大人になった今でも説明できるか? 「僕、文系だから、しらない」とは言わせない。SSR-1の改良型のYAESU FRG-7は北米で「カエルちゃん7号」と言われた。(当時の「ラジオ技術」に載っている)改良の説明は「短波」に磯野圭さん(またはBCL技術研究会)が書いている! 僕の受信室にはFRG-7700つまり「カエルちゃん」の改良型がラックにある。これは素晴らしい受信機だ。もちろん外国のBCLにも人気がある。

 ICFsw7600について:給料をキープした通帳とキャッシュカードから10万円をおろして京都寺町の電気店に走った。AN-1との7600システムがこのとき完成した。何度も言うように2Fのたんすの上に置いた横着状態の7600システムだ。はじめてLWでロシアの極東局を聞いた。7600システムは最高だ。RF-B30でもインピーダンスの切り替えでAN-1が接続できる。AN-1(AN-12)は万能アンテナだと思ってる。ICFsw7600シリーズについて文句は絶対に言わない・言えない・と思う。どんな使い方をしても大丈夫だ。いわゆる汎用機だ。もちろんDXも可能だ。ICFsw07も「でかしたぞ、よー考えた」と言いたい。

 メモリーチップまたはメモリーカードの交換で楽しむBCLは夢にまで見た世界ではないか?! AN-LP2を使った07システムも味わってみたい。そして、つかみはOKと吼えてみたい。


  
        平成23年4月19日   匿名希望 



*今回の連載:第23回も寄稿いただき、誠にありがとう御座いました。〔ぱれっとストア ショップ・スタッフ一同〕


 


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【連載 22】  可能性のリスト又はすばらしいBCL(RF-2200)
 



 1枚のQSLレターのデーター:OZRT 4862KHZ 1993.10.30 (1835-1930UTC)ザイールからだ。受信機もレターにタイピングされているが「Panasonic RH-2200」となっている。

 僕の書く文字の癖で「RF」が「RH」にミスタイプされた。このときのアンテナが二階の部屋のたんすの上に置いたAN-1だ。これが横着というのだ。これでも9R-59DSやRF-B30につないでもバンバン聞こえた。AN-1は木賃アパートの1階の軒先に設置しても大丈夫だった。

 19歳、病室の枕もとのRF-2200で毎朝BBCを聞こうとするが当時イギリスは外国とトラブルを起こしていた。放送も妨害されていた。FMでカ-ラ・ボノフを聞くのが好きだった。僕の人生は長期入院と短期入院のくりかえしだ。ラジオは友達以上の存在になった。

 30歳、病棟の屋上でRF-2200で「FM-HANAKO(花子)」を聞いた。これがFM守口の愛称のコミニティFMだ。はじめてのコミニティFM-DXだ。京都府長岡京市で受信した。驚くしかなかった。後日これこそが可能性のリストになる。ラジオ1台ではじまるBCLはこんなにすばらしい!


  
        平成23年4月15日   匿名希望 



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【連載 21】  今日はまじめだBCL(RF-B30)
 



 BCLをやめた同級生から年賀状も届かなくなった。1985年、僕は北伊丹(兵庫県)にいた。親父の友達からもらった幻の受信機に10mの単線をつないで7MHZのHAMバンドを聞いた。9R-4か9R-42Jを真似た受信機(アイデアルのケースに入れられた球がオレンジに光る)は周波数直読不能。だが、最高の性能で扇形のダイアルを適当に動かすだけでバンバン受信できる。調子に乗って近くの電器店でナショナル プロシードRF-B30を買った。高校時代にナショナルショ-ルームに問い合わせていた。



▲(C)パナソニック:National RF-B30
(プロシードB30)広告
昭和56年発売 当時の定価 ¥59,800


 ソニーICF-2001Dに刺激されてテーブル型受信機が欲しくなった。シンプルな操作性が好きだ。故障さえしなければ今でも受信室にあると思っている。まじめにBCLに取り組んだ。JSWCに再入会。度重なる引越しにもめげずB30は調子がいい。ロッドアンテナでも十分だ。AN-1もうまくつないだら「中南米・アフリカ結構聞いたはる」と評価された。

 ブラザビルのレポートは2番手、3番手だった。ある不明局をレポートしたら名エディターから「ガーナでしょう」のコメントをもらった。インド、インドネシアも受信対象になる。60mb中心のDXだ。WRTHを丸善で購入。「トロピカルバンドサーベイ」も2冊購入。東南アジアの資料もJSWCから購入。勢いに乗っていた。そんなときJSWCの先輩から9R-59DSをプレゼントされた。


  
        平成23年4月13日   匿名希望 



*今回の連載:第21回も寄稿いただき、誠に有難う御座いました。〔ぱれっとストア ショップ・スタッフ一同〕


 


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【連載20】  まさに究極?(RACAL RA6790/GM)
 



RACALのメーカーの旧式のリグをNZのアサークッシェン氏(Mr.DXer!)が使用していたらしい。
JSWCの会報で読んだ記憶がある。(違っていたらお許し下さい)だから、このメーカーが英国軍の無線機を製作していたことはしっている。今回は大部分が創造の域でしかない。



  ▲(C)Racal Electronics plc. /RACAL RA6790/GM
    軍事用受信機


 このRACALについては軍事目的のために性能を究極に高める。そのために専門のメンテナンスマンを必要とする。民生用に払い下げられたものはそれ故に不具合が生じたときが厄介だ。
僕は写真やネット記事を参考に考えた。これこそが究極の受信機だろうと。記事を読んでまず腰を抜かした。受信機そのものが1台のコンピューターなのだ。

旧式のRACALはワードレーループ方式受信機だ。かならず1MHZごとにスプリアスが出るらしい。
これは宿命的なものでバローズのポータブルラジオ(これもワードレーループ方式)の解説記事を「短波」で読んだときもそういっている。だが、これは返ってマーカーの代わりになる。ただドレークのように複数のクリスタルを使用することはない。やがてPLLシンセサイザー方式が開発される。現在の受信機の主流になる。


  
        平成23年4月8日   匿名希望



*今回の連載:第20回も寄稿戴き、誠に有難う御座いました。想えば、当店へ初めてSONY製ラジオの「お問合せ」を戴いたのは昨年暮れの寒い日、そして今近くの公園では桜が満開です。気温20℃温かくなりました。お陰様で今回第20回を迎えました。〔ぱれっとストア ショップ・スタッフ一同〕


 


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【連載19】  わいは見た(R-4CとSSR-1)
 



 子供時代、SSR-1を無線機や電子パーツを扱うお店で見ている。三十路にはR-4Cも実物に触れている。持っている人の受信機を触らせてもらった。「帯域が狭い」真空管受信機だ。もちろんBCLマニュアルでR-4Cがアマチュア無線機であることを僕はしっている。

 ところでSSR-1はどうだろう。当時の値段も69,800円ぐらいではなかったか。FRG-7が59,800円程度の時代だ。「これがドレークか?」と鼻で笑った人もいただろう。SSR-1は日本製品だった。

 ラジオの製作「Wave of the World」ふじひろしさんのユーティリティDXコーナーも好きだった僕はSSR-1がユーティリティ(SSB)受信にむいていることをしった。つまりSSB用に作られていてユーティリティDXerがモニタリング用に使って気分転換にAMで「日本語放送でも聞こうか」と思って実際に聞いてみる。そういう使い方をするのだ。AM(A3)のDX用の受信機ではない。SSBに切り替えたらR-4C同様「帯域が狭い」受信機になる。ピンキリという人もいるがSSR-1もさすがにドレークなのだ。使い方の問題なのだ。もちろん実物も、BCL書籍の解説記事も、わいはしっかり見た。 

  
        平成23年4月6日   匿名希望 



*今回の連載:第19回も寄稿戴き、どうもアリガトウ御座いました。〔ぱれっとストア ショップ・スタッフ一同〕




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【連載18】  ドレークをもう一度(SW-4AとSPR-4)
 



 SPR-4日本語マニュアルを見てぶっ飛んだ。SW-4Aを更に多機能にしたトランジスタモデルだ。SW-4A同様マグネチックループアンテナAL-4を接続する。というより合体だ。SW-4Aと合体したアンテナはいかにも貧弱に見えた。だが、これこそが恐るべきドレークシステムだ。

 SW-4Aではプリセレでマグネチックループを同調させる。これはもしかしたらシールドループアンテナかもしれない。ここらの不勉強なのは僕自身認める。小さなもので「これで?」誰しも思うはず。同じ真空管でも高1中2型受信機が感度不足になるハイバンドの威力は抜群だ。16mbでVOAがとても安定して聞こえた。ドレーク恐るべし。あの小さなボディの受信機にはいたるところに不思議な秘密がいっぱいだ。しかし、回路図を読めば読むほどシンプルさにため息が出る。

 SPR-4はオプション(アクセサリークリスタル、キャリブレータ、RTTYユニット)を用意して、さらにSSB受信可能にした。写真を見ればプリセレのつまみがもうひとつある。まさか?二段プリセレともいうべきか。ドレークはここまでやるのだ。僕はまだまだマニュアルを読みこなせていない。とんでもない秘密があるようだ

  
        平成23年4月5日   匿名希望 



*今回の連載:第18回も寄稿戴き、有難う御座いました。〔ぱれっとストア ショップ・スタッフ一同〕




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【連載17】  ボイスオブジャパン、さすが新型!?
 



  1980年代、ICF-2001ICF-2001Dが発売された。「短波」のあの暗さにはついていけない、といわれた。日本BCL連盟も一度は解散した。再結成されたB連に入会したら「MY WAVE」が送られてきた。新BCLマニュアルも出版された。入門BCLブックが小中学生に訴えかけるものがあった。

 泣いてせがんで買ってもらったボイスオブジャパンを手放して周波数の読めない直感メカでBCLした少年もいた。テンキー入力では味気ないと少年はいった。一方DXには便利だ。2001Dはメモリーも増えたしダイアルノブもついた。決定的なのが同期検波回路を内蔵したことだ。

 2001Dのフィルター交換もはやった。輸出モデルのICF-2010は個人輸入やアウトレットで買えた。フィルターは2001Dよりも帯域が狭かったっけ? とにかく人気があった。いまでもメインに使っているBCLは多い。当時「kYOI」で一日中ゴキゲンな音楽が聴けた。にもかかわらず、BCLは傾き始めた。

 1990年ごろにさらに改良されたICFsw77が発売された。僕は1997年に購入した。電気屋の店長は「これやったらどんな小さい国の放送でも入りますよ」といった。これは嘘やハッタリではなかった。AN-1はこのシリーズに使用するアンテナだが実によくできていた。



  ▲(C)著作ソニー/SONY製 ICF-SW77型 Intelligent World
    Band Recever (1991年発売当時 定価 74,800円)  


 ICFsw77はいまでも僕は愛用している。2001D(2010)ほどの人気はないようだがメモリーをうまく使いこなせたらこちらに軍配が上がる。僕はsw77のデザインが好みだ。コメントをいえばBCLラジオも行き着くとこにいったな、という感じだ。1990年BCLは更に傾き人口もそれほど増えなかった。

  
        平成23年3月31日   匿名希望 



*今回の連載:第17回も寄稿戴き、有難う御座いました。〔ぱれっとストア ショップ・スタッフ一同〕




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【連載16】  もはや二度と手に入るまい(マッハのラジオ)
 



 型番もうろ覚えで確かTRS-35だったか? とにかく親父が買ってきたのが1975年の正月なのでいいかげんな記憶しかない。MW、SW1-3、FM(ワイドバンドではない)、VHF(少しだけエアバンドもある。2mのアマチュアとテレビ音声が4、6、8の各CHが入る)という構成のラジオだった。デザインはTFM-2000F(SONY)に似ているが側面と背面はボール紙で出来ていた。僕のサブラジオとして使用した。周波数の直読は不可能だ。大きなダイアルパネルにプラスチック定規を貼り付けて周波数を読んだ。SWが12MHZ以上受信できるので興奮した。

 16mbでは台湾の放送をよく聞いた。13mbではRadio Nederlandのインドネシア語放送も聞いた。90mbも受信できたはずだが記憶がない。2m・FMのアマチュアの会話も面白かった。当時の「ラジオの製作」でRAEを受信する目的で短縮ダイポールや短縮ループといった指向性のあるミニアンテナの記事があった。塩ビパイプを利用して製作した。このアンテナにどう効果があったかは記憶がない。「ラ製」にはアンテナカップラーの記事も多かった。

 古本屋でみつけた「電波技術」にはソ連局DXのすすめを赤林隆仁さんが書いていた。そのときの受信機がTFM-2000FかTRー2000だった。この雑誌にはMWループアンテナの記事も多かった。「DX受信テクニック」という本が1974年くらいに発売されていたこともバックナンバーで知った。「短波」が創刊された頃、「電波技術」のうまれかわりと思った人は多い。

   BCL雑誌の古本も入手が困難だ。なんとかコピーサービスでもできないだろうか。当時、平凡パンチ、プレイボーイ、GOROのバックナンバーも古本屋で買った。アグネス・ラムのビキニがまぶしかった。

 
        平成23年3月30日   匿名希望 



*今回の連載:第16回も寄稿戴き、有難う御座いました。〔ぱれっとストア ショップ・スタッフ一同〕




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【連載15】 ログブック片手のBCLにむいています(クーガ113が発売されたころ) 
 



 学校図書館で杉原哲さん(だったと思う)の新書版の技術書をみつけた。その本のなかに家庭用5球スーパー受信機をDX用に改造する方法をみつけてぶっ飛んだ。それが真空管受信機との出会いだ。押入れから5球スーパーを出してきて遊んだ。TRラジオとは音がまず違っていた。なぜだろう? 真空管そのものに秘密があるとしか思えない。

 横型のクーガ113を「ニチイ」というスーパーで見たとき、「ここまできたらラジオと言うより受信機やで」と一人の少年が言った。クーガ113のBCLマニュアルでの山田耕嗣先生のコメントが「ログブック片手のBCLにむいています」だった。人気がないのか現在の雑誌の記事にもクーガ113は出てこない。しかし、それなりの雰囲気を持っている。案外この手のデザインの受信機を自作された方がいるのではないかと思う。自作しようとしたが結局作れなかった。抵抗やコンデンサの値の読み間違えと半田付けの不良だ。部品をひとつひとつ集めたのでいろいろ詳しくなった。当時アンテナカップラーやクリスタルマーカーさらにクリコンの自作がはやっていた。うまく作れた人がどれだけいただろう? 作れた人は器用だ。

 FCZコイルを利用して中波コンバターを自作してスカイセンサーのSWで周波数を読み取ってMW-DXをする人もいた。後期のクーガ2200にはMWの周波数がフイルムスケールで20KHZ直読できた。「なぞのトライアングルアンテナ」もはやったがクーガ2200のジャイロアンテナだけでも結構MW-DXは可能だった。NATIONAL電子ループアンプは最高だ。MW-DXには真空管受信機がいいと言われた。例えば9R-59Dとか。その記事をで余計に真空管受信機にあこがれた。「アマチュア無線百科受信機編」という高1中2受信機の設計の教科書を買った。さらにしばらくしてブルーバックスから「マイ・コンピュータを作る」が出版された。中学生なのに頭の中は電気や電子のことでいっぱいになった。
 
        平成23年3月28日   匿名希望 



*今回の連載:第15回も寄稿戴き、有難う御座いました。〔ぱれっとストア ショップ・スタッフ一同〕




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【連載14】 あのころはまだ会報だった(クーガ115を持っていた少年) 
 



 日本BCL連盟の「短波」とは別に会員用に「Hz」がある。「Hz」が二つ折りだった頃を知ってるBCLもいるようだが、もともとは「会報」で定形内郵便で送られてきた。会費1年分1,000円がなかなか払えずクラスでクーガ115(松下電器製)を所有していた少年のみがB連の会員だった。もっとも少年は1年間だけで会員資格の更新をしなかった。

 気になる特集記事の会報をもらって読んだ。雑誌の「短波」とは少し違っていた。「インドネシアDXのすすめ」「DXは中波に始まり中波に終わる」このような記事が記憶に残っている。中学生でインドネシアDXやMW-DXに興味を持っていた僕はやはり変なのか? 実際深夜にR.NederlandR.RSAも聞いていた。

 当時のリグは三菱電機ジーガム404だ。クーガ115にあこがれを感じ、ただため息を出すばかり。ドレークSSR-1も気になるが八重洲からFRG-7が出る頃には松下もクーガ2200を出した。




  ▲八重洲製(通信型受信機)FRG-7  

 同じ学校の少年もソニースカイセンサー5900を買った者や熱烈な松下ファンは高級なクーガ118を自慢した。

 ただ僕が自慢できるのは屋根の上にピンと張ったテレハンター(ローディングロングワイヤー)だけだ。「短波」に塚本直幸さんの「DXerになろう」の連載記事が載る頃には韓国のAM局や中国の放送でDXっぽいことをしていた。

 DXerにあこがれってはいたが限界も感じていた。長瀬博之さんが「60mbは中国局の宝庫でもある」と発言していたのきっかけに60mbを聞けば当時はPNG(パプアニューギニア)の開局ラッシュもあってNBCポートモレスビーを聞いた。また、旧ソ連のMayak(マヤーク)を聞いたりした。RRIが日本語放送(インドネシアの声)を突然始めた頃にRRIソロンを聞いた。

 ここから60mbへの扉が僕の前で開かれた。少年は大学でテニス部に所属した。BCLの記憶は少年にはない。僕はいい年になってテニスを本格的に習った。定期的にマシンジムで筋トレしているのでメタボとは無縁な体だ。
 
        平成23年3月25日   匿名希望



*今回もこの連載への寄稿戴き、有難う御座いました。〔ぱれっとストア ショップ・スタッフ一同〕




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【連載13】  クーガ対プロシード(ナショナルパナソニック)
 



 ソニーの現行機種については誰もが納得して使えるものを残したようだ。特にシビアなBCL/DXをしない限りどれを買っても大丈夫だ。70年代のBCLブームにも負けない状況の現在、パナソニックは残念な限りだ。

 ネットオークションでクーガ2200の人気が根強い。個人的にはクーガ115が好きだ。あこがれたのに2200を購入したのだから、どういうことなんだ。やはり、10KHZ直読が魅力だったのか? 高校時代にはKTWR日本語のテスト放送をこれで聞いた。
22歳でプロシードB30も購入した。これはとてもシンプルな操作の通信型レシーバーだ。クーガ2200とプロシードB30が同じメーカーでの双璧だと思う。
B30ではDXを堪能した。ロッドアンテナでもバンバン受信できる。ソニーAN-1(アクティブアンテナ)を購入したのが20年位前のことだが、2200もB30も、これをを接続してアフリカ局の受信に熱中した。結構受信できたので興奮した。

 松下電器の中波電子ループアンテナにもあこがれた。このアンテナはいまでも欲しい。
大変な優れものだ。雑誌のシャック写真を見ればなぜかタオルが干してある。生活感あるな。プロシードのデザインはクーガ2200のイメージが濃厚だ。
特に説明しなくてもみなさんにはわかるでしょう。それだけ2200のデザインがよいと言うことだろう。グッドデザインを受賞したクーガ115はスカイセンサーよりも好きだ。
BCLアンケートでは115が欲しいと答え続けた。クーガの最大の売りは音質だ。




  ▲NATIONAL PANASONIC製 クーガRF-888  

スピーカーがいいのだろう。ほえろクーガRF-888の16cmスピーカーは圧巻だ。
とてもラジオとは思えない。それ以上のものだ。いまでは中古で集めるしかない。

         平成23年3月24日   匿名希望 





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【連載12】  作ろうと努力はした 『トリオ2B-BRF国民型コイル』
 



 「ラジオの製作」を買っていた。真空管受信機を自分でも作ろうとした。
日本橋のエレホビー店でトリオのコイルパック(2B-BRF)IFトランスを買った。アンテナコイル、局発コイル、高周波増幅のためのコイルの3本セットで売っていた。箱の中にはトリオデーターシートが封入されていた。
結局僕は上手に自作することができなかった。

 真空管受信機へのあこがれはそのときに僕の中にインプットされた。6石ラジオのキットも買ったがトラッキング調整をしなかったので近畿放送(現在はKBS京都)がか細い音で入っただけだ。ああ、情けない。
だけれども、ゲルマラジオは何台か作ってモスクワ放送(現在はロシアの声)の日本語放送を10mか15mかのワイヤーを張って受信した経験がある。これには僕自身驚いた。

 親父の友達に「作った受信機ならあげる」といわれた。9R-42Jに似た扇形のダイアルの受信機だった。これは性能がずば抜けていた。
SSBもBFOを使えば充分聞こえた。10m程度のアンテナを室内に張っただけだったけど。

 9R-59DSをJSWCの先輩からいただいた。ミズホのカウンターキットDX-007が取り付けられていた。作動状況の保障はしない約束だったが、たいした整備、調整、点検することもなく使えた。ソニーAN-1を接続してDXを堪能した。インド、インドネシア、アフリカをよく聞いた。

 SW-4Aも真空管受信機だ。専用のAL-4マグネチックループアンテナには秘密があるのだろう。この小さなアンテナだけで16mbのVOAをよく聞いた。
同じ真空管でも16mbが実用になったのはドレークだけだ。
最近入手した資料によるとSPR-4もAL-4を接続する。実にすばらしいアンテナだ。
       平成23年3月18日   匿名希望 


 



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【連載11】  わが青春のアイドル奈奈美ちゃん(スカイセンサー5950)
 



「生録アドベンチャーロクハン」(音楽之友社刊)は隔月刊の雑誌だ。
読者のページ「共鳴館」に長期に渡って僕の投稿が掲載された。
採用分には粗品として(5枚くらいはあっただろうか)オリジナルポストカードがプレゼントされた。そのなかにとてもかわいい女の子のカードがあった。雑誌のマスコットガールの奈奈美ちゃんだ。雑誌のキャラクターはロクハンキッド。もちろんキッドのカードもあった。この雑誌ではじめて「イラスト」という言葉を知った。ロクハンキッドのステッカーはいまでも持っている。

BCL兄さん牛込和則さんのBCLライブラリーのコーナーが素敵だった。そこにオリジナルのユニバーサルアンテナカップラーの製作記事の連載もあった。
クリスタルマーカーを内蔵してLW、MWにも対応した。(どちらもループアンテナの製作記事もあった)SWは二系統のアンテナが使えた。BCLラジオだけではなく将来通信型受信機を導入したときのことも想定されていた。

1976年スカイセンサーカセット5950がそろそろ世に出るころの話だ。
スカイセンサー5900にカセットを取り付けただけではない。ボディも大型になりカセット部は高級なカセットデッキと同じ仕様だ。ISの録音はもちろんクリスマス特番の録音ができるのには声を失った。

奈奈美ちゃんはとても人気があって「友達なってね」「ぜひ水着になっていただきたい」「下着姿も見てみたい」そのほかいろんな投稿が読者からあった。
だけど、夢に出てきた奈奈美ちゃんは白い水着でも怒っていた。
 

        平成23年3月10日   匿名希望







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【連載10】 これだけやれた (ジーガム404とテレハンター)
 



 1975年(昭和50年)暮れに「短波」誌が発売された。300円。隔月刊の創刊号を買った。
DXというものがあることをこのときはじめて知った。

 「BCLマニュアル」に故山田耕嗣先生のサインがあるが親父と日本橋の旭無線のイベントに行ったときにもらったものだ。「BCLマニュアル」はばっくりと真ん中から真っ二つになりいくらテープで補強しても無駄だった。

 リスナーⅠに似たテレハンター(ローディングロングワイヤーアンテナ)を親父が屋根の上に張ってくれた。親父も若いときにBCLのようなものをやっていたらしい。
実際に受信できた韓国のMW局のリストを作ってみた。姉のタイプライターを使った。
長い間病的なまでにこだわり続けた60mb受信が、NBCポートモレスビー(パプアニューギニア)、RRIソロン(インドネシア)を聞いたときからはじまった。

 いつのまにかJSWCに入会していた。当時の会報は大判のデラックスなものだった。
ジーガムのフイルムダイアルにはうるさいくらいいろんなマークやラインが表示されていた。
あれが逆に周波数をパイロット局を使って読むときの手助けになった。

 当時、中学2年生。京都寺町の電気街の古本屋にはラジオ雑誌のバックナンバーが売られていた。「ラジオ技術」をよく買ったりした。「ラジオ技術」に僕のレポートが載った。

                                  ▲(C) 「ラジオ技術」、アイエー出版

 MWでのBBCオーマン中継と中国局のレポートだった。しかし、「周波数が誤記入されている」「SINPOコードがすこぶる疑問だがあえて原文のまま記載しました」のエディターのコメントがあった。完全に僕の負けである。
後日、JSWCの名エディターにもこっぴどく叱られたこともある。いまだにBCLをしているが36年間無休だったわけではない。不活発なときも、もちろんあった。
20代になって更に本格的にDXをはじめることになる。親父の友達の作った9R42Jもどきの高1中2受信機をもらったのとRF-B30(ナショナルプロシード)を買ったことでJSWC(日本短波クラブ)に再入会した。
だが、ここでも60mbへのこだわりが僕にはあった。なぜそんなに60mbに魅かれたんだ
ろう? その答えはいまもわからない。

        平成23年3月8日   匿名希望 







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【連載 9】 男は18センチ (ラジカセ マック シリーズ)
 



 しばらく劇画から遠ざかっていた山上たつひこさんが中年になったその後のこまわり君を描いた。
「がきデカ」のこまわり君はとても人気があった。
NATIONAL PANASONICのラジカセにマックシリーズがあった。
こまわり君が出てきて「マックは18cm」と叫ぶCMが記憶にある。



  ▲▼NATIONAL PANASONIC製 ラジカセ MACシリーズ  



 マック(松下電器製)の最大の売りは普通はマイクが内蔵されているのだが、これを取り外し自由にしたことだ。ワイヤレスマイクとして使用した。
ジーガムカセット(三菱電機製)は8ウェイマイクで対抗した。これはびっくりするくらいの優れものだった。
東芝はパラボラマイクを付属品にしたラジカセをだした。

 1976年(昭和51年)くらいのあの時代はBCLだけでなく、生録もおもしろかった。
クーガ118(松下電器製)をベースにしたBCLマックはクーガの売りであるジャイロアンテナにマイクを内蔵させた。まさかの発想である。
スカイセンサーカセット(ソニー製)はセンスのいいデザインでまさにカセットデッキそのもの。ラジオの機能としてはスカイセンサー5900をベースにしているから人気が出ないわけがない。
僕はスカイセンサーカセット5950にあこがれた。

 BCLライブラリーという言葉がこのころ生まれた。当時の受信音やクリスマス放送のテープが残っていたら本当に貴重品だ。

 カセットデッキのいいものを所持していたBCL、安価なラジカセで録音していたBCLと、ひとそれぞれだった。タイマー録音もなかなか難しかった。

 最近では、ICF-sw7600をベースにしたICF-sw1000Tや1000TSがあり、これで留守録するのが一番楽だ。いまはICレコーダという便利なものがある。
いまでもこまわり君は「んが!」と叫んでいるのだろうか。

        平成23年3月4日   匿名希望 







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【連載 8】 南米にもっていかはったかなあ?(スカイセンサー5900とクーガ2200)
 




  ▲(C)東京新聞出版局/書籍「たった一人の30年戦争」表紙  

 小野田寛郎 元(日本)陸軍将校がルバング島(フィリピン)で当時の捜索隊の残していったトランジスタラジオで情報を集めていたエピソードはあまりにも有名だ。真空管受信機がトランジスタラジオに変わったことがなぜ小野田さんにわかったのか、僕はいまでも考えます。
日本に帰国されたのは1974年(昭和49年)だったか。
小野田さんがBCLラジオを見たらどう感じられたか。
小野田さんは後に南米に移住された。

 中学1年のとき、日本から南米にいった移民が「電気が通っていないと思って鉱石ラジオを日本から持っていった」エピソードを中学校授業のホームルームで聞いた。大変興味深かった。
「10KHZ直読ダイアルで新登場」のキャッチフレーズでスカイセンサー5900(ソニー製)が発売された。
1975年(昭和50年)の終わりごろだ。さらに通信機に近い設計で作られたのがF直バリコンを使った「直ダイメカ」のクーガ2200(松下電器製)だ。

 1976年(昭和51年)にはこの2台が一世風靡した。BCLにとっては世界的にも革命的なことだ。 BCL少年がどうしても受信できない入らないと泣いた理由が周波数が読めないことチューニングが困難なこと。これらが解決したのだ。
BCL少年はみんなあこがれた。

 後日、南米受信専門クラブRNMがだしたLA-DXingNo.5やNo.6を読めば南米がラジオ局の宝庫だとわかる。もしかしたら小野田さんはスカイセンサーかクーガを南米にもっていったのかなあ。HCJBでも日系人向けの放送があった。
クーガのある部屋の写真をLaVoz で見たことがる。

 1977年(昭和52年)ごろの専門誌「短波」の連載「ニースからボンジュール」を読むとクーガをフランスにもっていったエピソードがある。ついつい日本だけで考えてしまいがちだが外国で日本人が国産BCLラジオを使うケースもあるのだ。
そういう時代がはじまっていたのだ。

        平成23年3月1日   匿名希望 







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【連載 7】 がんばれBCL君
       (TFM-110Fとトライエックスを使っていた少年のこと)  




 中学1年の3学期にBCLのことを教えてくれと言われた。
彼が使ったラジオ受信機の型番はTFM-110F(SONY製)だ。
5m程度のエナメル線を鴨居に張ることを教えてあげた。
古いラジオでもHCJBアンデスの声が聞こえた。
当時HCJBジーガムでも受信はつらかった。

 僕は屋根の上にテレハンター(ローディングロングワイヤーアンテナ)も張っていたが寝床シャックではテレハンターが接続できないのでロッドアンテナで受信することもあった。
トライエックス2000が彼にはとても個性的に感じられたのだろう。



 中学3年生になるころにはトライエックス(東芝)を彼が買った。
これは本当に個性のあるラジオだ。トライエックスシリーズはかわいらしいコンパクトな大きさとデザインでうちの姉も「トライエックス欲しいなあ」と言っていた。
だが、トライエックス2000は大型でいろんな機能があった。
重装備と言えば重装備である。

1番いいのは折りたたみ式のアンテナだろう。スイス放送を聞くために彼はトライエックスを買った。当時スイス放送の送信機を使って赤十字放送のテスト放送が行われた。はたして彼は赤十字放送を聞いたのだろうか? またどんな気持ちでTFM-110F(ソニー製)でHCJBを聞いていたのだろう。このラジオのことがポパイ(雑誌)で紹介されたこともあった。

 この機種は相当人気があった。コラムはトランジスターラジオを弁当箱スタイルという言葉で表現していておもしろかった。
正直TFM-110Fは使ってみたい。TFM-2000F(ソニー製)にはAN-12を接続しているが、これでもいいし、MINI-WINDOMアンテナ+AA-1またはEMFアンテナ+AAー1の接続なら問題はないはずだ。

         平成23年2月24日  匿名希望 






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【連載 6】 夢にまでみたドレーク (SW-4Aについて)
 




  ▲ドレーク SW-4A受信機 

 この受信機も1969年ごろのものだ。2000年に7万円で買った。純正のマグネテック
ループアンテナも付属されていて傷も少なくランプもきちんと点灯した。
Sメーターがオレンジで周波数表示がグリーンに光る。
49,41,31,25,19,16,13の各mbのSWとMWそれにLWも受信できたはずだ。
プリセレで同調させてチューニングするがそのときに副尺を使って1KHZ直読する。
BFOはなくあくまでAM専用機。音質がよくて16mbでVOAをよく聞いたが感度も安定度もびっくりするほどいい。さすがに世界のドレークだ。真空管式だが回路図を見れば、見事なほどのシンプルに作られている。
低周波増幅だけはトランジスタで組んである。
 きちんと手入れをしなかったのが悪く、6年使用したがつまらぬ故障をした。残念。
いまでも完全に整備点検調整がされたものを買うと8万円を超えるかもしれないな、と思っている。
SPR-4(これはトランジスタ)R-4C(真空管式)よりは日本には入ってきていないのではないか。付属のアンテナだけでバンバン受信できるのにはたまげた。
 1976年にFRG-7が発売されたときアメリカのBCLはたぶん衝撃を受けたと思う。
「カエルちゃん7号」とアメリカで命名された頃、日本にはすでにポータブルラジオではスカイセンサー5900(ソニー)とクーガ2200(松下電器)が存在していた。これらはまさに双璧だ。
 ロッドアンテナだけでも十分DXにもリスニングにも対応できた。どちらもいまでも程度のいいものを使えば、最高の気分になれるはず。いまだ人気は衰えずだ。

        平成23年2月22日   匿名希望 







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【連載 5】 ハロージーガムという人気ラジオ番組がありました
        (ジーガム404とクーガ7について)




  ▲NSB カード 

 初期のBCLブームの中心的な番組がNSB(現ラジオNIKKEI)ハロージーガムで銀河鉄道999の車掌さんの肝付兼太さんが毎日放送していた。
日曜日にはサンデージーガムがあり、BCLというより生録ファン向けの番組だった。
TBSラジオで深夜にはBCLジョッキーがあり、宇宙戦艦ヤマトの富山敬さんだった。スカイセンサークラブの会員証をもらったことがある。

 小学6年生、「変わったバックを持ってるなあ」と聞けばそれがクーガ 7 ラジオの特製バッグだった。お友達はクーガ7のオーナーだった。
僕がジーガムを持っているといえば「ジーガムほしかった」と答えた。
ジーガム404クーガ 7も1973年の終わりごろの製品だ。どちらも人気がある。

 方向探知機のようなメカニックなデザインのクーガ7に対してジーガム404はおとなしいデザインだ。
AM受信に回転式のジャイロアンテナを採用したクーガ7。ポータブルラジオ初のダブル
スーパーヘテロダイン方式
とアマチュア無線も聴けるBFOを取り付けたジーガム。
(混信や雑音の消去に僕はBFOを使っていた)まったく個性の違うラジオだった。

 ジーガムファンは後にダイアトーンファンに移行していったようだ。ジーガム505もあったが、ジーガム自体はBCLというよりもオーディオの方向性が強かった。
景品にBCL七つ道具か生録七つ道具のどちらかをくれた。QシートやSEカセット。
BCLワイヤーアンテナとかあったなあ。

 クーガにはBCLワールドタムタムという人気番組がNSBであった。
途中からタモリが担当し、ヤングDXerという言葉が生まれた。
第一線で活躍するBCLがゲストに出ていた。

 中学生になった僕は専門誌 「ラジオの製作」、「初歩のラジオ」、「ラジオ技術」、「電波科学」、「放送文化」、「ランラジオ」、「ロクハン」とかを買うようになる。そして決定的なカルチャーショックを「短波」で受けることになる。

 ところでジーガムの売りのダブルスーパーヘテロダイン方式だが(スカイセンサー5900
クーガ2200も採用しているが)これについては謎である。455KHZよりも小さな周波数を使ったQファイバー方式ではないかと勝手に想像しているがいかがなものだろう。 

        平成23年2月18日   匿名希望 







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【連載 4】 ナショナル クーガ 115 





 当時、うちの学校では入学祝にクーガ115を買ってもらった中学生は多い。
短波放送入門という本の表紙にもなった。
大きなスピーカーがクーガシリーズの売りだが銀色のボディはかっこいい。

ダイアルノブに紙で作った分度器を貼ってそれで周波数を読み取っていた少年もいた。
3バンドのラジオとはちがい12MHZ以上受信できることに興奮した少年は多い。
逆Lアンテナやローディングロングワイヤー(リスナーⅠとかテレハンター)が接続されていたと思う。

ダブルダイポール(リスナーⅢ)やバーチカル(リスナーⅤ)との接続にはかならずアンテナカップラーが必要だ。
いまでこそAA-1という変換機が売られているが・・・。
当時、DXにも相当対応したようだ。いまでもDXやリスニングにも十分使える。

デジタルマーカーをネットオークションで買った人が115を使ったらクーガの音質のよさを改めて感じると思う。
BCLの苦労の多くは周波数の読み取りなんだからね。

          平成23年2月17日  匿名希望 





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【連載 3】 ナショナル クーガ 2200に思う




▲松下電器 クーガー2200カタログ 1976年版 

 高校合格記念にクーガ2200を買ってもらった。すでにプロシード2800が発売されていたが価格の面で親に遠慮したのだ。
 2200はクーガシリーズ最後にして最高のラジオだ。
F直バリコンとクリスタルマーカーによる直ダイメカが売りで10KHZ直読できる。目のいい人ならもっと周波数が読み取れるはず。これにあこがれた少年は多い。
 クーガシリーズの一番の売りであるジャイロアンテナを親父は持ち運びようのハンドルと勘違いしてよくアンテナを持って運んだ。これには閉口した。
また周波数校正も何度も説明しても、わかってくれない。そんなに難しいのかなあ? ジャイロアンテナとクリスタルマーカーを省略したクーガ101も人気があった。これはかわいい女の子って感じがする。プロシードシリーズはどれも通信機のイメージがする。現在ではここらがクーガとプロシードの人気のわかれ道かもしれない。
 高校生時代の僕は2200でKTWR日本語放送のテスト放送をよく聞いた。
時期的にソニーがウォークマンを発売するころだ。当時の音キチの関心もウォークマンやYMOに向かっていた。
テクノポップの時代がそこまで来ていた。
 講談社ブルーバックスではマイ・コンピュータ入門とかマイ・コンピュータを作るとかのシリーズが出ていた。まさに時代の曲がり角だった。

        平成23年2月15日   匿名希望 







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【連載 2】 TFM-2000F その後



 TFM-2000Fを僕は「ソニーさん」と名づけました。お気に入りのラジオになりました。
面白いことに、いまのマンションでの室内に設置したアンテナではトロピカルバンドはあきらめていましたが、sw1で3480KHZ「Voice of the people」つまり人民の声ですか。地下局ですね。これが良好です。CRI、台北、ピョンヤン、KBSの日本語放送やラジオジャパンNHKの日本語放送はこれで楽しんでいます。商品説明ではsw3が確認済みでしたが(sw4は時期的にきついです)FMもふくめて全バンド使えます。

 うちの部屋でのセッティングに問題があるのかもしれませんが(光のCTUとかも影響しているのかも? あるいはソニーさんの基本設定がそうなのかも?)sw2とりわけ6MHZがたいへん良好です。この時期では1日をとおして6MHZがいいのかもしれませんね。使い込んでいるうちに接触不良もよくなり、声が小さくなる現象も起こりにくくなっています。アンテナはソニーAN-12アクティブアンテナを窓際に設置しています。

 新旧あるけど、ソニーにはソニーなのですね。どちらもきちんと機能していることがよくわかります。当時は日本語放送やちょつとした英語放送を聞くのには持ってこいだったのでしょう。1969年では9R-59DSがDXの主流だったと思います。9Rは6年位使用しました。ミズホDX-007周波数カウンターを取り付けたのをOMさんに譲ってもらった。いまでも完全に整備点検調整された完璧なのは6万円にはなるでしょう。ただ安定度に難があるのとハイバンドはめっちゃ感度不足です。カウンターがなければ不安です。60mbのアフリカをこれで狙っていました。いわゆるアラサーの時代に9Rを使っていました。

 TFM-2000Fについては僕に目の狂いはありませんでした。とにかくぱれっとストアさんはいい仕事をされました。ありがとう!

          平成23年2月13日  匿名希望


▲SONY TFM-2000F ラジオ 1969年型 








平成23年1月4日に当店から”SONY TFM-2000F 1969”をご購入された京都のお客様から電子メールが届きました。このソニー製のラジオは、
BCLラジオが出回る以前から世界のマスメディアが使用していた6バンドラジオですが、この商品をご購入され寄せられたご感想が切っ掛けとなり、今回の連載がスタートしました。寄稿者のご希望により、ペンネームです。なお、掲載内容は原文です。


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【創刊・連載 1】 SONY TFM-2000F 1969年型




 TFM-2000F について、結論から言いますと、いいお年玉になりました。
TFM-2000Fのパネルの傷は僕は特に気になりません。バンドセレクターの接触不良も使っているうちにコツがわかりました。

 SWはCRI、チョソンの声、これらの日本語放送やR.Australiaの英語放送がSW3でバンバンいい音で聞かせてくれました。
SW4のチェックはこの時期では難しいでしょうね。でもSW1SW2も雑音を聞いている範囲でもそこそこの感度はあるとい思います。背中にクリスターが入っているのも確認しています。それで旧NSB(ラジオ日経)もいい音です。

 全体的に安定したチューニングが可能です。ところがFMがつらかった。バンドセレクターの接触はFMにきついものがあります。
でもいい音でFM局がバンバン受信できます。

 FM COCOLOをTFM-2000Fで聞くのが好きですね。時々音が小さくなったりしますがこれを故障というのは乱暴な言いかたです。むしろ個性だと思います。同型機に最近人気が集中しているようです。

ぱれっとストアさんはいい仕事をされましたね。そこそこどころか僕には上物です。

 僕はJSWC日本BCL連盟その他の会員でした。もう36年近くのBCL暦です。
本当にいいお年玉&宝物になりました。ありがとう。

                                           平成23年1月23日  匿名希望